池田先生は、ルドルフ・シュタイナー氏の生まれ変わり?ー①

シュタイナー教育の絵本と出会ったのは、小児科の薬局

1、出会い

長男が幼かった頃に通院していた、小児科の隣の薬局に、絵本がありました。                                        

シュタイナー学校の1年生のことが、描かれていました。      

一週間(一か月?)ずっと国語だけ。翌週(翌月?)は算数だけ。

森の中にあるような学校で、国語の一日目、Aという文字だけで遊びます。

Aの文字を書いた、紙の回りをデザインしたり・・外で自由に散策します。

巻末の方には、宿題やテストが無いのに、

大学受験では通常の学校で学んだ生徒にひけをとらない・・

たしか、そんな内容が書いてありました。

               

私の長男が、10か月の時、発達が遅れていると言われ、

2歳になっても、なかなか二語文が話せず、公文の教室に通っていましたが、

一つのことばかりを、ずっとやり続け、近所の子ども達と違っていたため、

この教育なら、合っているのかもと思いました。

その後も、シュタイナー氏について書かれた記事を目にするたび、気になる存在でした。

               

2、神学者、ルドルフ・シュタイナー氏

シュタイナー氏のことを、ネットで検索していて、出会った記事の中で、

キリスト教の、ルカの福音書についての文に惹かれました。

一人の使徒が、言葉が有るのなら、神がいたのだろうと

「最初に神がいて、言葉を発した」と訳し、二人は、それを踏襲したのではないか?。

だが、ルカだけは、初めに音声(カオス)があり、それがだんだん神の姿となった・・

と、原文の通りに訳した。との見解です。

池田大作先生のスピーチで話される、宇宙の大音声(だいおんじょう)と重なる気がしました。

また、ルカの素性は、どうも漁師ではないか・・というような文も、目にしました。

漁師の子であったといわれる、日蓮大聖人と重なるのです。

ルドルフ・シュタイナー氏は、20世紀最高の神学者と言われるそうです。

              

3、衝撃

ある日、県立図書館へ行くことになり、

私は、ルドルフ・シュタイナーのコーナーへ行き、目星をつけ、本をめくりました。

            

「『20世紀初頭に、日本に弥勒が生まれている。』と言って、

すぐに、シュタイナーは死んでしまった」というようなことが書かれていました。

「え?、日本?。シュタイナー氏が、なんで日本のことを?。

弥勒って・・・、なんで神学者がそんな話を?」と最初は怪訝に思いましたが、

        

「もしや、シュタイナー氏が、戸田先生の元へ、池田先生となって、生まれ変わったのでは!?」

そう思って、戸田先生の出生日を調べたら、1900年2月11日です。

まさに20世紀初頭なんです!!。

シュタイナー氏が1925年に亡くなり、池田先生が1928年1月2日に生まれています。

衝撃をうけたものの、最近まで、それっきりになっていました。

               

4、再び

私の配達の仕事が無くなったことを機に、

少しやり始めていて中断していた、パソコンでの電話仕事を再開しようかと思いましたが、

なぜか、パソコンでの、そのチャットグループにつながらなくなりました。

仕事先に聞いても、「繋がるはずだ、変わっていない」といわれます。

貧乏暇無しで、家事にも時間がかかりますし、少しですが、

数か月後には年金が入る予定なのもあって、

かねてから、気になっていたことを、再考することにしました。

            

ルドルフ・シュタイナー氏は、シュタイナー教育を提唱し、学校を作り、

今もたくさんの学校があります。

神学者でありながら、キリスト教と仏教のつながりの本を執筆し、

また、占い、建築、農業、色彩学、音楽、メルヘン、手作り・・・

多岐にわたって、膨大な著作を残しています。

「シュタイナーを学ぶ 本 のカタログ」という本まで有りました。

               

実は私は、仏と菩薩の違いについて、よくわからなかったのですが、

シュタイナー氏の本、「釈迦・観音、弥勒とは誰か」の中に、

かなり詳しく書かれています。

           

             

また、出家の意味も、よくわからなかったのですが、

真実の愛は、肉親などの、身近な人がいない状態でしか、説けないと書かれています。

聖書の4人の福音書による、キリストに関する(住んでいる場所などの)記述が食い違うため、

「元々、架空のものだからだ。」と言う人もいますが、

どちらも正しい、と書かれています。

つまり、イエスという名前の人は二人いて、キリストの霊が宿った時期がそれぞれ違い、

後半にキリストが宿ったイエスは、身近な肉親がいなくなった状態になって、

はじめて、真実の愛を説いたのだ、と書かれています。

釈尊が出家したことの意味が、初めてわかった気がしました。                     

5、転生        

そして、弥勒菩薩が、弥勒仏陀となるまで、生死を繰り返すと言われていたそうなのです。

(ここはまだ、未消化ですみません)

1911年頃にも、シュタイナー氏は講演で、

「20世紀初頭に、日本に弥勒が転生している。」と言っていたようです。

ネットで調べると、「大本教の出口王仁三郎氏しか、該当者がいない。」

という記事が見つかりました。

出口王仁三郎氏は1871年8月27日に生まれています。

弥勒が何人居ても、おかしく無い気がしてきました。

                 

以前、池田先生が、大本教の弾圧について、書かれたのを読んだことがあります。

当時、出口王仁三郎氏が、弥勒だと言われていたらしく、それについてのブログがあります。

それは、

咲杜憩緩(さきもり けいかん)という名前で書かれたブログで、

本も出版されていました。発行は、Ⅴ2ソリューション、発売は、星雲社。

私は、シュタイナー氏の膨大な本を前に、ギブアップしそうでした。

神学者が読むような難解な本です。

それらを、とても簡潔に、知りたいことをまとめられていて、スゴイ!。と思いました。

これ、誰が書いたのかしら・・・?

咲杜?→咲く?→だいさく?

憩緩(けいかん)?→桂冠詩人?

v2?→1/2?・・・は池田先生のお誕生日?

 ・・・・・・・もしかして・・・・・              

じつは、以前、県立図書館で、たまたま読んだ、「宗教新聞」に、

「日蓮聖人は、流罪で流されていた天皇と、世話をする女性との間に生まれた子どもで、

親とされている漁師に、預けられた。

その時の御守り(産着?)と、守り刀が、大本寺に奉納されている。」

と、写真付きで書かれていました。

ですが、現在、大本寺の日蓮大聖人の守り刀に関することは、

検索で、全く出てきませんので、詳しくは、わかりません(汗)・・

         

その時は、「漁師の子どもが、ここまで学問をすることができたのは、

やはり、そういう理由が有ったんだ!。」と思ったのでした。

なので、最近まで、大本教とは、大本寺のことかと思っていました。

             

      ②に続く

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